99.5.30 コメントのページ追加 |
京都は竹の町。
特に嵯峨野の竹は なかなか風情があっていい。
嵐山のあたりを歩くと, 広くない道路の両側に
見事な竹林があって 見事である。
私は あちこちと移り住んでいるが, これまで身近に美しい竹林がある...
という経験がなかったせいか,
うっそうと繁った竹林を眺めると 違う世界に来たような気がして,
からだがシャンとするような気持ちになる。
竹は 日本全国ほとんどどこにでもあるようだが, たとえばタケノコの産地と
しては 京都・四国・九州などが主な産地になるらしい。北国にも竹はあるが,
雪に弱いため あまり大規模な竹林はない。
京都・洛西には 境内に竹林をかかえる寺がいくつもある。たとえば...
華厳寺 (鈴虫寺)・・・ などなど。一度“竹の寺めぐり”をしてみたいものだ。
化野念仏寺
地蔵院 (竹の寺)
右の写真は 弥勒菩薩で有名な 広隆寺 の境内にある「桂宮院」本堂(国宝)だが,
八角堂の優雅な建物が 周囲の竹林とマッチして美しい。
大変印象に残る風景である。
嵐山付近から 南の方に行くと, 向日市に接するあたりに
"京都洛西竹林公園"
というところがある。
正式な地名は, 京都市西京区大枝南福西町で,
阪急・京都線の 桂駅から バスで15分程のところ。
この辺りは「大原野」と呼ばれ, かつては あたり一面が竹林に覆われ,
有名なタケノコの産地だった という。
それが 昭和50-60年代の宅地開発で 数十万本の竹が伐採されて
巨大な団地 (洛西ニュータウン)に変貌してしまい,
現在では わずかに東端の山裾に竹林が残っているだけである。
余談だが, 今ではタケノコの消費量の70%(?)が 中国・台湾からの
輸入だそうだ。
タケノコの栽培は 非常に手間がかかるため, 後継者不足で
竹林を維持できなくなり, 国内の生産量が急激に減少している という。
もう一つ余談。最近あちこちに 竹林公園が作られている。 鳥取県の船岡町, 広島県の竹原市 などに比較的規模の大きいものがある。
この公園は, 「竹の資料館」を中心とした 5000平米の敷地に,
全国から集めた 110種類の竹を栽培している。そのうち 約半数は 笹 に属する。
(ちなみに,「タケ類」に属する植物は 竹類・笹類・バンブー類があるそうで,
成長後 竹の皮が脱落するものが 竹,
竹の皮が 腐るまで脱落しないものを 笹,
地下茎がない種類を バンブー
と呼ぶをのだそうだ。)
よく聞けば, (右の写真のように) 普通のモウソウチクを タケノコのうちに
(つまり まだ柔らかい間に) 周囲に板枠をはめ しっかりしばりつけて
そのまま成長させることによって形をつけるのだそうだ。
一種の人工の竹とも言える。
京都の特産で, 形が珍しいのと 外形がそのままの形で利用できるために,
結構 工芸品などに珍重されるそうである。
この公園の資料館に, 右のような電球が置いてあるのを見つけた。
『エジソンが竹ヒゴをフィラメントとして作った電球』(復元)
という説明がついていた。
そういえば小学校でだったか, 「エジソンが電球を発明した時,
フィラメントの寿命が短くて 困っていた。
いろいろな材料でフィラメントを作って試した結果, 『京都の竹』を蒸し焼きして
作ったものが一番優れていたため, これで電球を実用化することができた」
という話を聞かされたことを思い出した。
どうして金属でなくて 竹なのか, どうして 『京都の』竹なのか ・・・ など
疑問がいくつもあったが, 先生は答えてくれなかった。
その電球に こんなところで出会おうとは思っていなかったので,
妙に感激してしまった。
話はそれるが, そのエジソンと また別の場所で出会ったことがある。
京都府八幡市 (京都市からすぐ大阪寄り -- 上の地図のすぐ左下になる) に
石清水(いわしみず)八幡宮があるが, その境内に 『エジソン記念碑』なるものが
建てられている。
古い神社と エジソンの取り合わせが妙だが, ここに記念碑を建てた由来として,
石碑には こんなことが書いてある。(1929年といえば 何と昭和4年のことだ。)
西暦1879年にトーマス・アルバ・エジソンが 灯火の革命ともいえる 炭素白熱電球を発明し, この石清水八幡宮境内に生えている竹が 電球の命ともいえるフィラメントの材料として 最も適していることを知り, 電球発明の翌年から10数年もの永い間 この竹を使ってたくさんの 炭素電球を造り, 世界の人々に電灯のありがたさを知らされました。 つまり, この八幡の竹が 炭素白熱電球の実用化に大きな役目を つとめたのです。
そこで1929年に 電灯発明50年を記念して 世界各国で電灯黄金祭が 催された時, 日本もこれに加わり 記念事業の一つとして電球の発明と 切っても切れない関係にあるこの土地に記念碑を建て エジソンの 功績を永久に伝え讃えることになったのです。
最初に建てられたのはこの境内北側に続く場所でしたが エジソン彰徳会の手で 昭和33年にここに移され 更に昭和59年10月に現在の姿に再建されました。