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【発祥の地】へのコメント [99.12.19]
『発祥の地』にいただいたコメントの一部をご紹介します。
今回は コメントの数がいつもより少なめでした。 内容が ちょっとオタクっぽかったでしょうか。下に参照させていただいた他にも, 数人の方から web 上に書かれた「発祥」 の情報を教えてもらいました。とにかく たくさんの「発祥の地」があることが わかります。そのうち 記念碑がどれだけあるのかは 判然としませんが。
【 Mさんから 】 こだわりのあるところがさすがだと思います。 確かに, 横浜ではいろいろなところに発祥の地があるようです。 機会がありましたら写真撮っておきます。
【 Sさんから 】 招き猫から参加させて頂いて、1年になります。 毎回、楽しい便りありがとうございます。 今回も発祥の地というキーワードで、楽しまさせて頂きました。 横浜の発祥の地は、やはり文明開花の香りが漂いますね。 今後、発祥の地の記念碑を見かけましたら、デジカメに収めて おくらさせていただきます。
【 Fさんから 】 「〇〇発祥の地」... いろいろ有るんですね。 ここに無い物で見つけましたらご連絡致します。 「ゴルフ発祥の地」が未掲載なのは一寸寂しいですが, 致し方ない(?)と思っています。 神戸・六甲辺りを探して見ます。
【 Kさんから 】 いやはや、何でも発祥の地にしてしまう、その心意気と言うか、ずうずうしさと言うかに 恐れ入ったしだいです。8時間労働、バナナのたたき売りなど。 自分でも作ってみようかなど、不遜なことを考えています。ただその後一般化しないと だめですので、事業家精神が豊かでないと無理か。
【 Mさんから 】 毎回楽しいお話をありがとうございます。『発祥の地』というテーマはとても、 面白そうですね。 鉄道など、はっきりさせられるものはいいですけど、日本発祥の地・・・って すごいですよね。 いまや、メディアの発達で、『発祥』と同時にぱーっと広がってしまうので なかなか、 今後は発祥の地は増えないかもしれないなーと思うのですがどうでしょう? ラクロス日本発祥の地とか、ビーチバレーボール日本発祥の地・・ なんて、 きっとないのかなって思うのです。
【 Fさんから 】 今回の「発祥の地」はおもしろいテーマですね。 いろんなとこに「発祥の地」があるんだなぁと感心して見させていただきました。 こういう「発祥の地」の碑を置くのは何か行政の許可とかはいらないのでしょうか?? でも図太い神経がないとできないってことは許可はいらないってことですよね。 そうなると結構、だぶって建ってたりしないのかなぁ??
行政の許可までは必要ないでしょう。 せいぜい 設置場所の所有者の許可さえあれば 誰でも作れるものだと思います。
それよりも, 関係する学会だとか 業界などの内部調整が結構大変そうな気がします。
本文の方にも書いた“スキー発祥の地”のように, ダブって設置するケースは 少なからずありそうです。 「◯◯まんじゅう」に対して 「本家◯◯まんじゅう」が出てきて争うのと 同じことですね (^o^)
【 Uさんから 】 日本発祥の地, 福岡県甘木とは 福岡県で育った私も知りませんでした. 甘木はお茶しかないと思っていましたが... バナナの叩き売りは, 昔 門司が国際貿易港だった名残で, 門司港駅前では ときどき保存会の人が叩き売りの実演をしています. 門司は, 北九州の五市(門司,小倉,八幡,戸畑,若松)合併後はすたれてきました. 現在は古い建物を保存しようと, 門司港レトロと称して 観光化を図っています. 何となく横浜の港と雰囲気が似ています. 九州旅行の際は半日くらい時間を割いて, 門司港を見学されることをお勧めします. 新幹線と電車で博多から30分です.
【 Yさんから 】 今回から本来の「はまだより」になったのかな?と思っております。 初めて「横浜」が出てきましたので。 「鉄道発祥の地(横浜)」のアップを読んで,すぐに アレ これって ちょっと前に 読んだ本に出ていたな と思い,探してみましたら 一ヶ月くらい前に買った 「鉄道地図と歴史を楽しむ本」が出てきました。 小川さんのアップされた内容に追加する形で 面白そうなところのみ書いてみますと ・何故,品川−横浜(現桜木町)が新橋(後の汐留貨物駅)−横浜間より早く仮開業したか? =>外国から輸入されたレール,枕木などの資材が横浜港に陸揚げされ,横浜がわ から線路を施設したため。 ・5月7日 2往復, 8日 3往復, 8月11日〜 8往復,9月13日〜 9往復と増発 されています。 因みにダイヤは 新橋,横浜発 8時,9時,10時,11時,14時,15時, 16時,17時,18時となっています。 12,13時はランチタイムでお休みだったのか? ・正式な開業は明治天皇が臨席して行われたようです。そして 祝賀列車で横浜まで乗車した。 ・途中停車駅 品川・川崎・鶴見・神奈川と 今,考えても妥当な場所のようです。 神奈川とは今の東神奈川辺りでしょうか。 ・運転士は その当時,みな 外国人だったようです。 それだけでなく,車両,鉄道建設,運営は みな イギリス人が担当していたとのこと。 最盛期(?)には100人以上の外国人が従事していたとのことです。 江戸時代から5年しか経っていないのですから 考えてみれば 致し方ないことに思えます。 先日,真鶴まで行ったのですが 乗り換えのため 小田原の一つ手前,鴨宮で下車しました。 そのホームにあった名所名跡の看板に 「新幹線発祥の地」とありました。 多分 ちょっと歩けば”碑”があったのでしょうね。 新幹線開業前にテストをしていた区間の端が鴨宮だったのでしょうか?
さすが 鉄道に詳しいYさんですね。ありがとうございました。
「新幹線発祥の地」というものがあったとは知りませんでした。 現在は 鴨宮新幹線保守基地内に設置されていて, 一般には公開されていないとのこと。 残念ながら写真に撮るのは困難ですね。
【 Kさんから 】 毎度楽しい記事をありがとうございます。 「発祥の地」ですぐお知らせできますのはJR大森駅ホームに立っている 「日本考古学発祥の地」の碑です。ご存知モースの大森貝塚発見に起因しています。
あ〜〜! そうだ, 忘れてました。
大森駅の「日本考古学発祥の地」は 今年の7月ごろに見つけて, ちゃんと 写真も撮ってあったのに, そのことをすっかり忘れていました。 たくさんの写真を整理しているうちに 大森の分をどこかに置き忘れて しまっていたのでした。大森の他にも その後発見した いくつかの発祥の地の写真があるので, 以下にご紹介します。
考古学発祥の地 ![]()
JR 山手線の大森駅の 東京方面行きホーム (やや東京寄り)に この記念碑が建っている。
有名な「大森貝塚」を発見・発掘したモースを記念したもの。貝塚のあった場所は 現在2ヶ所に分かれて残されている。 一つは 大田区。 大森駅近くの NTTビルの裏側 (JRの線路ぎわ) に記念碑だけが残っている。 もう一ヶ所も近くだが品川区になり, 「大森貝塚遺跡庭園」として保存されている。
どちらも 元は JRの線路沿いに長く続いた場所らしいが, 戦後の都市開発のために 両端の一部のみが保存されていると考えられる。 二つに分かれているのは たまたま記念碑が二つあるせいもあるだろうが, 大田区/品川区という 行政が張り合っているためかもしれない。
考古学発祥の地 E.S.モース発掘100周年記念 アメリカの動物学者モース博士が1877(明治10年) 横浜より新橋に向かう汽車の窓から大森貝塚を 発見し, これが契機となって日本の考古学が発達 しました。このブロンズは当貝塚出土の土器を 約2倍に拡大したものです。 1979年12月
郵便発祥の地 ![]()
東京・日本橋郵便局の通用口に建っている。
1962年に 郵便創業90周年を記念して 設置された。
「郵便発祥の地」という大理石の台の上に, 「郵便の父」前島密(まえじま・ひそか)の銅像が置かれている。明治4年(1871年) わが国に新式郵便制度が発足したとき, 駅逓司(現在の郵政省)と 東京の郵便役所(中央郵便局に当たる)が ここ日本橋に置かれた。
前島密は それまでの"飛脚"に頼った郵便制度を 近代化した人。 1円切手のデザインになっているほか これまでに 13種類の切手に登場している。
日本橋魚市場発祥の地 ![]()
東京・日本橋のすぐ横に この碑がある。
昭和29年に立てられた碑で, 非常に長い碑文が刻まれている。 理解しにくい碑文なので 適当に翻訳してみる。
昔から 東京湾でとれる魚を売り捌くために, 日本橋に魚河岸ができていた。 この頃の市場は 漁民が自分で商っていた。
徳川家康が江戸に幕府を開いた際, 摂津(兵庫県)から数十名の漁民を江戸に移り住ませて 江戸城で消費する魚をとらせた。
幕府に納める残りの魚を一般に販売するために, 魚をとる人と 商う人が分離されて 本格的な魚市場になり, 諸国からの海産物も入荷するようになって 大いに賑わった。
この魚河岸は 明治・大正時代まで続いたが, 関東大震災により 魚市場は 築地に移転を余儀なくされた。
新聞発祥の地 ![]()
横浜・中華街の一角, 関帝廟のすぐ近くに ひっそりと建っている。
日本国新聞発祥之地
日本における新聞誕生の地
ここ, 横浜の元居留地141番は, 1864(元治元)年6月28日, ジョセフ彦が, 「海外新聞」を発刊した居館の跡である。
彦は, リンカーン大統領と握手した唯一の日本人であった。 リンカーンの民主政治が勃興期の米国の新聞の力に負うところ 大なるを体得し, 開国したばかりの祖国のため, 日本最初の新聞を創刊し, 「童子にも読める」新聞精神を提唱した。 読みやすく, 判りやすい新聞を, 創世記の日本の新聞界に植えつけた 新聞の父・彦の功は大きい。
さらに木戸孝允, 伊藤博文, 坂本龍馬など多くの人びとに 民主政治を伝えた彦は, 民主主義の先駆者として, およそ新聞を読む ほどの人々の心の奥に残る文化の恩人であった。
1994(平成6)年6月28日
「海外新聞」発刊130年記念日に
ジョセフ彦記念会
講談発祥の地 ![]()
東京・東日本橋に 薬研堀(やげんぼり)不動院 というお寺がある。
ビルに囲まれた狭い境内に建てられたコンクリート造の本堂脇の 猫のヒタイほどの庭に, この碑が建っている。
元禄時代に, 赤松某という人が浅草で太平記を講じ, 江戸講釈の発祥となった。 安政年間に「太平記講釈場の碑」が建てられ 大正12年の関東大震災まで名物となっていた。
・・・ という趣旨の"講談協会"の碑文が書かれている。
昭和59年に 新たに薬研堀不動院に碑を建てた。
順天堂発祥の地 ![]()
同じく薬研堀不動院の庭に, 上の「講談発祥の地」と並んで建っている。
碑文は 簡単に次のように書かれている。
天保9年(西暦1838年)
佐藤泰然という人は 幕末に蘭学を学び, 天保9年に ここ薬研堀に 和田塾という蘭学塾を開いた。その後 佐倉に移って塾をおこし「順天堂」 という名前にした。
順天堂始祖佐藤泰然この地に
和蘭医学塾を開く
明治6年(1873)になって 養子の佐藤尚中が, 東京・湯島に 順天堂医院を開設。 これが 現在の順天堂大学の基になった。
電信創業の地 ![]()
「発祥の地」ではない記念碑の例。 (この種の記念碑まで含めると 対象がますます増えて収拾がつかなくなりそう。)
横浜の神奈川県庁近くにある。
電信創業の地
明治2年(1869)12月25日, この場所において横浜電信局と 東京電信局の間にわが国ではじめて電報の取扱が 行われました。
昭和38年12月27日
日本電信電話公社