99.12.19 「発祥の地」のコメントページを追加しました |
横浜は 開港140年目にあたる。しかし 関東大震災で壊滅的に破壊されたため,
開港当時の面影 特に 外国人居留地や 開港当時の建造物などは ほとんど失われている。
それでも 横浜の中心部を歩き回ってみると, 時々 オヤ! と思うものに出くわす。
横浜に住んで ウン十年になるが, 意外に横浜のことを知らないことに 気づかされる。 関西に数年住んでいた時は 地元に長くいる人が あまり地元のことを知らないのを 笑っていたのだが, やはり 自分もそうであったかと おかしくもある。
そんな中で 最近の発見は, 横浜には 「◯◯発祥の地」という記念碑が やたら目につくことである。 「発祥の地」の碑は 日本中どこにでもあるらしいが, 横浜には特にそれが多いのは やはり文明開化の地だからなのだろう。
鉄道発祥の地 (横浜) |
この記念碑には 開業当時の時刻表や運賃なども 刻み込まれていて,
ていねいに見ていくとなかなか面白い。
それによると, 横浜→品川の間は 35分という 意外に短時間で走っている。
え? 本当? というほど速い。現在 京浜東北線の電車でも 桜木町→品川間が
30分だから, 当時とほとんど変わりないことになる。
何かの間違いではないかと思って いろいろ調べたのだが どこにも同じことが書いてあった。
途中に駅がなかったため 停車時間がいらなかった とか,
線路がほとんど 海岸の埋立地を走ったため,
踏切など障害物の心配もなかったのかもしれない。
ただし 9月の新橋−横浜の正式営業時には,所要時間は53分で
途中駅は 6ヶ所にあったという。
運賃は 上等・中等・下等の3種類あり, それぞれ 片道 1円50銭・1円・50銭 となっている。
50銭は 現在の 5,000円程度の金額に相当するそうで, ベラボーに高いものだったようだ。
鉄道発祥の地 (長崎) |
“本物の汽車”が初めて日本で走ったのは長崎だった。
横浜-品川間の鉄道が走り出す 7年前のこと, 慶応元年(1865)に
英国人グラバーが 長崎の居留地の海岸通り
(今の市民病院前から松ヶ枝まで) にレールを敷き,
上海の展示会で買った蒸気機関車を走らせたという記録があるらしい。
2両の客車に人々を乗せ, 黒い煙をはいて力強く走る汽車に
見物人は目を丸くして驚いたのだろう。
つまり, 長崎の鉄道は 「日本で初めて人を乗せて走った鉄道」であり,
横浜-品川の鉄道は「日本で初めて料金を取って乗客を乗せた鉄道」だった。
なるほど。定義が違えば 鉄道発祥の地が 2ヶ所にあってもいいわけだ。
8時間労働発祥の地 (神戸) |
ただ一つ 神戸で見つけたのが, この「8時間労働発祥の地」の碑である。
場所は 神戸駅近くのハーバーランド。
この土地は 神戸駅の南から海岸まで続く, オフィスと商業施設が集中した
比較的新しい街だが, 古い地図を見ると ここは 旧国鉄の貨物駅(操車場)らしきものが
あった場所のようだ。
したがって 国鉄で初めて8時間労働の制度をとりいれたものか,
それとも 隣接している川崎重工の工場が 8時間労働にしたものなのか。
この碑がどういう由緒のあるものか, 残念ながらよくわからない。
日本ガス事業発祥の地 (横浜) |
高島嘉右衛門という人は 大変ユニークで活動的な人だったようで, 元々は材木商。ガス会社を作ったほかに, 横浜から桜木町の間に鉄道を通すために 遠浅の海を埋め立てる工事を請け負ったり, 外国人居留地で通訳の請負業をやったり, 学校をつくったり, さらに 易学『高島易断』を創始するなど 実に多彩な活動をした実業家だった。
横浜-桜木町間には この人の名前を取った「高島町」があり, また横浜駅の北側にある丘陵は 高島山と呼ばれている。
日本庭球発祥の地(横浜) |
西洋歯科医学発祥の地 (横浜) |
近代街路樹発祥の地(横浜) |
現在の馬車道は 決して広くない 一方通行の道路だが,
歩道は花で飾られ ベンチも置かるなど, おしゃれで賑やかな商店街だ。
開港当時の馬車道も 文明開化の先端の街として賑わっていたのだろう。
この地で 日本で最初の街路樹が植えられ, 日本で初めてアイスクリームが作られたという。
横浜・元町公園「水屋跡」と呼ばれる場所の一角にある。 慶応元年(1865)に T.S.スミスが塗装業を始めたことを記念する碑。 その後 日本人では伊藤幸太郎と桜井鉄五郎等がペンキ塗装業を始め, 鉄道停車場の工事を請け負ったと言われる。
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明治の初め, 維新政府は 英国歩兵隊軍楽隊長だった イギリス人フェントンに 50人を派遣して 軍楽隊の訓練を依頼した。これが 日本の吹奏楽の始まりとされる。 また, 外交儀礼上の必要から 国歌を制定するにあたり, 「君が代」を歌詞に選び, フェントンに作曲を依頼し, 明治3年わが国最初の陸軍観兵式に際して明治天皇の前で初めて演奏された。 フェントンは 明治初年に横浜・妙香寺に滞在していたため, ここが 「吹奏楽発祥の地」と「君が代発祥の地」とされ, 寺の境内に上の2つの碑が並ぶように建っている。 余談だが, この初バージョンの君が代は 旋律が日本語になじまないため 日本人に受け入れられず, 10年後に 現代版の「君が代」が完成している。
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長崎のグラバー園に上る坂道の途中で見つけた。周囲はみやげ物店が並ぶ。 日本のボウリングは, 太平洋戦争後 米軍が持ち込んで盛んになったが, 発祥は文久元年, 長崎の出島の外国人居留地に シーメンス・ホームというクラブがあり, ここにボウリング場が開設されたのが最初とされる。
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横浜・中区本町, 開港記念会館前。
横浜商工会議所は, 明治13年4月13日, 横浜商法会議所として,
この地本町1丁目5番地横浜町会所内に設立された。 |
自分で撮った「発祥の地」の写真は 以上ですべてだが, この他 わかっているだけでも かなりの数の「発祥の地」の碑があることがわかっている。その一部を紹介すると. . .
アイスクリーム発祥の地 | 横浜・馬車道 |
西洋理髪発祥の地 | 横浜 |
電話交換発祥の地 | 横浜 |
日本国新聞発祥之地 | 横浜・中華街 |
郵便発祥の地 | 東京・日本橋郵便局 |
銀行発祥の地 | 東京・茅場町 |
放送発祥の地 | 東京・田町駅 |
銀座発祥の地 | 東京・京橋 |
スキー発祥の地 | 青森県野辺地町 と 新潟県上越市 |
無線電信局発祥の地 | 千葉県銚子市 |
米騒動発祥の地 | 富山県魚津市 |
バトミントン発祥の地 | 長崎市 |
日本酪農発祥の地 | 千葉県嶺岡 |
コンタクトレンズ発祥の地 | 愛知県木曽川町 |
日本発祥の地 | 福岡県甘木市 |
日本赤十字の発祥の地 | 熊本県玉名市 |
電気鉄道事業発祥地 | 京都市 |
鋳物師発祥地 | 大阪府松原市 |
淡路人形発祥の地の碑 | 兵庫県淡路島 |
石垣イチゴ発祥の地 | 静岡県久能山 |
納豆発祥の地 | 秋田県仙南村 |
少年野球発祥の地 | 秋田県神岡町 |
日本ロケット発祥の地 | 秋田県岩城町 |
宮水発祥の地 | 兵庫県西宮市 |
民間航空発祥の地 | 千葉市 |
パンポン発祥地 | 日立市・日立製作所山手工場内 |
ババナの叩き売り発祥の地 | 福岡県門司 |
・・・ もうキリがないので やめておくが, web で調べた範囲では 60〜70ヶ所の発祥の地の碑がみつかっている。 たんねんに調べれば もっともっと数は増えるだろう。
それぞれの碑を作った人は それなりの思い入れがあったのだろうが, それにしても「日本発祥の地」などというのはスゴイ。 相当に図太い神経がないと なかなかできるものではない。