寒川町南部教育発祥の地 [さむかわちょうなんぶきょういくはっしょうのち] 場所
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JR相模線・寒川駅の南西500メートル。「南部文化福祉会館」の駐車場を囲む垣根に
埋もれるような場所に, 高さ1メートル程度の小型の石碑が建っている。
寒川町は 明治初期には, 一之宮村・中瀬村・岡田村・小谷村・大蔵村・小動村・宮山村・倉見村・田端村 という 11の村に分かれていたが, 1889(明治22)年に これらの村が合併して「寒川村」が発足。 1940(昭和15)年に「寒川町」となった。
この場所には かつて「一之宮小学校」があった。 (参考 : 「旭学校発祥の地」) 撮影日
2006年6月 碑文
寒川町南部教育発祥の地
この地付近は江戸時代大山街道の
宿場として大いににぎわい明治六年
(1873年)に至りこの地に博習学舎
が設けられ明治九年一之宮学校と改称された
現在の一之宮小学校の前身であり寒川町
南部の教育発祥の地である |
寒川町南部教育発祥の地 碑
| 南部文化福祉会館 |
移転先 http://840.gnpp.jp/samukawachonanbukyoiku/
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