発祥の地bannar
わが国石油機械掘り発祥の地
 [わがくにせきゆきかいぼりはっしょうのち] 


場所
静岡県牧之原市菅ケ谷
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JR東海道本線の菊川駅から南東に10km。
国道473号(相良バイパス)の大寄インターから1.3kmほど南の畑の中に「わが国石油機械掘り発祥の地」と書かれた標識と説明版が設置されている。

日本国内の石油採掘は、日本海側(新潟県・秋田県)と北海道(勇払)の油田が知られているが、静岡県でも石油が採掘されていたのはほとんど知られていない。
この地には、太平洋岸ではただ一つの油田「相良油田」があり、明治初めから太平余殃戦争後(昭和30年)まで実際に石油を産出した。しかし油田としての規模は小さく、資源量が少なかったため、やはて原油は枯渇し、油田は閉鎖された。

相良油田の沿革はおおよそ次の通り。
1872明治5年海老江の沢合で原油の露頭が発見される。石坂周造が「相良油田」に進出。東京石油会社の相良支社を設置
1873明治6年石坂周造は手堀り掘削を開始
米国より購入した綱堀り機を時ヶ谷(庄八屋敷)に設置し、約540リットルの採油に成功
1875明治8年相良油田の経営が元薩摩藩島津候の手に渡る
1881明治14年石坂周造、「相良油田会社」を設立
1884明治17年頃最盛期、手堀り石油坑数 240坑
油出量 年産 721.6キロリットル(ドラム缶約3600本)
従事者 約600人
1903明治36年石坂周造 死去(享年72歳)、記念碑を建立
1908明治41年第2次ピーク、年産683キロリットル
1925大正14年機械堀井戸 6坑、手堀井戸 34坑、産油量が減少し廃坑が続出する。
1938昭和13年日本石油株式会社撤退
1950昭和25年小型ロータリー機による機械掘削、深さ310m(静岡県指定文化財として現存)
1955昭和30年完全廃坑

撮影日
2006年10月
碑文
わが国石油機械掘り発祥の地
  牧之原市指定(史跡)
    日本最初の石油機械掘り成功井跡
              (庄八屋敷)

 この井跡は,石坂周造が明治六年(1873)米国から購入した綱堀り機によって,同年十月十五日掘削し,五十四リットルの採油に成功した史跡であります。
 ここは庄八屋敷といい,わが国石油機械掘り発祥の地であります。
       平成八年十月吉日    相良史蹟調査会

 明治六年(1873)石坂周造(1832−1902)は,アメリカより「綱堀り機」三台を購入。
 うち一台を,同年十月十五日相良油田時ヶ谷地内(庄屋地屋敷)で試用。二日間に0・五四キロリットル(三石)の採油に成功しました。
 これは,わが国石油機械掘りによる採油の最初であり,ここが日本近代石油産業の発祥地であります。
      平成十三年七月二十五日指定
          牧之原市教育委員会

 
わが国石油機械掘り発祥の地碑
わが国石油機械掘り発祥の地 碑
同・説明板
同・説明板