2000-02-07 「小江戸」のコメントページを追加しました |
「小京都」と呼ばれる街がある。金沢や高山など
日本中に 数えきれないほどたくさんあるようだ。
同様に「小江戸」と呼ばれる町もある。
『しょうきょうと』に対して こちらは『こえど』と読むらしい。
広辞苑によると「小京都」とは『古い町並みが残り 京都のような趣きを持つ小都市』
なのだそうだが, 残念ながら「小江戸」という言葉は広辞苑には出て来ない。
小江戸を自称する町では『江戸と深い交流をもち 今も深く江戸情緒を残す』町 というような意味合いで使っている。つまり 小京都は 京都と関係がなくても “京都風”であればいいのに対して, 小江戸は かつて江戸と深い関係があった ことが条件になっているようである。
数年前から『小江戸サミット』という会議がもたれていて,
川越 |
私にとって長い間 川越という町は (失礼ながら) 単なる「田舎町」 という印象しかなかった。 ところが 数カ月前に 埼玉県の寄居という町に行った時に 川越を経由して, そこで 川越が古い町並みを残した「いい街」だという話を聞いた。 ふと行ってみたくなり, 翌週 あらためて出かけてみた。
川越には JR・東武鉄道・西武鉄道と 3つの鉄道駅があるのだが, どれも 市街中心部から 500〜800m離れている。調べたわけではないが, おそらく 市街地に鉄道を入れることに大反対があって このような形になったのだろう。 このことは 結果的に, 川越の古い町並みを保存するのに大いに役立ったと思われる。
川越駅から『小江戸巡回バス』というのに乗る。
30分毎に出ているのだが 結構利用する人が多い。
休日には 臨時の増発バスも出る。
一日何回でも乗り降り自由だから, 観光客には大変便利なシステムだ。
「一番街」と呼ばれるメインストリートに着くと 一瞬 異様な感じを受ける。 通りの両側に並ぶ商店の多くが蔵造りになっていて, 黒い建物が多い。 そのため 何となく暗い印象を受けるが, 慣れてくると 何ともいえない不思議な落ち着きを感じてくる。 なかなか素敵な街である。
右上の写真は 陶器店。狭い露地を挟んで手前は 大きな菓子店。
向こう側には 刃物店。いずれの建物も 重厚な土蔵造りで,
手入れもよく行き届いている。
右下の写真は「重要文化財・大沢家住宅」という看板が出ている。
建ててから200年経過しており, 関東地方の町家では
最も古い部類に入る建造物だそうだ。
他にも 洋品店, レストラン, 時計店 などなど。
よくもこれだけ蔵造り店舗が集まったものだと思う。
近くには「川越市蔵造り資料館」があって,
蔵造り商家に関する資料などが展示されている。
川越に蔵造りの町並みができた背景は こういうことだ。
川越市は 川越街道や荒川によって 江戸と結ばれ,
江戸時代には大江戸に対する物資の供給基地として発展した。
明治以後は 織物やタンスの生産地としてにぎわう一方
穀物の中継地としても栄え, 埼玉県第一の商業都市として賑わった。
ところが 明治26年(1893)に, 町の1/3を失う大火に見舞われた。
その復興に際して, 耐火性にすぐれた街づくりをしようとして,
江戸(すでに東京になっていたが)の商家の様式であった
土蔵造りを基本とする商店街が作られた。
もちろん その背景には 財力に富んだ商店が多かったことがある。
東京は関東大震災で古い建造物がほぼ壊滅したが,
代りに 当時の様子が川越に残されることになった
しかし その後は時代の変化に乗り遅れ,
長い間に タダの地方都市, というか 東京のベッドタウンになってしまった。
町の中心部への鉄道の乗り入れをしなかったため
近代都市として発展するチャンスを失った。
しかしその反面, 古い市街地がそのまま保存される結果となったのは
皮肉なものである。
一番街の中心部に 一段と高い 塔のような建物がある。
「時の鐘」と呼ばれ, 川越のシンボルとなっている。
今も毎日 6時・12時・15時・18時 の4回, 鐘の音を響かせているが,
さすが現在は人手は使わず 電動式になっているという。
この鐘の塔は 江戸時代(寛永年間)に 川越藩主 酒井忠勝が建てたもので,
現在の時の鐘は 明治26年の大火直後に再建されたもの。
数年前に 環境庁が「残したい日本の音風景百選」というものを決め,
たとえば 「三井寺(滋賀県)の晩鐘」などと共に この「時の鐘」も選ばれている。
「一番街」には こんなレトロな洋館もある。
大正時代に建てられた (旧)八十五銀行の本店で,
今も あさひ銀行川越支店として 現役の建物である。
石造りの3階建てで, 塔(ドーム)を持つ 大変立派な外観。
蔵造りの低い町並みの中で ひときわ目立つが,
不思議と周囲とマッチしている。
ところで これらの写真を眺めてわかる通り, この一番街通りには
電線がまったくないため 非常にスッキリした写真になっている。
電線が地下に埋設されている。
電線を地中化するのは 大変大きな投資だろうが,
ここまで古い町並みを大切にしている 川越市に拍手を送りたい。
その代りだろう, ちょっと裏通りに入ると, 電線の張ってない電柱が ポツン ポツンと立っている。 トランスだけが乗っかっている電柱というのは なんとも不思議な印象を受ける。
佐原 |
佐原は 江戸時代には 醸造業や商業が発展し, また 利根川を利用した
船運による江戸との交易の拠点となり 大いに繁栄した。
『北総の小江戸』とも呼ばれ,
「お江戸見たけりゃ 佐原へござれ。佐原本町 江戸まさり」
という唄がうたわれたほど賑わったという。
「重要伝統的建造物保存地区」というのが日本全国に43ヶ所あるそうだが,
その中で佐原は 関東では唯一の「国選定保存地区」である。
市内を流れる小野川沿いには 土蔵や古い木造の家屋が点在していて,
情緒のある町並みを残している。
川越が 商店そのものが蔵造りだったのに対して,
佐原の町並みは基本的には木造で, 別の建物として
白壁の土蔵もたくさん建っている。
上の写真「中村屋商店」は 安政2年の建築。
メーンストリートに面する『忠敬橋』の傍にある。
代々 荒物・雑貨・畳などを商ってきたそうで,
現在でも「畳表」の古い看板が掲げてある。
そのすぐ近くに, 伊能忠敬の旧宅が 国の「史跡」に指定され 保存・公開されている。
(写真右下)
伊能忠敬は 佐原の商家(この家)に養子に入り, 隠居してから天文学を学び,
後に幕府の命により 日本全国を歩いて実測し 精密な日本地図を作った。
旧宅のすぐ近くには「伊能忠敬記念館」があって,
測量図や遺書・遺品などが展示されており, その中には
『伊能全図』と 人工衛星から撮った日本列島の衛星写真が交互に写し出され,
伊能忠敬の作った地図の正確さが 直接比べて見ることができるという。
私が行った日は 閉館中で中に入ることが出来ず 見ることができなかった。残念。
佐原にも レトロな洋風建築がある。
『三菱館』と呼ばれる 大正3年建築の 2階建て赤レンガ造りで,
旧川崎銀行佐原支店として使われ, 後に三菱銀行となった。
レンガは英国からの輸入品で 銅葺き屋根。正面にドームがある。
現在 この建物は佐原市に寄贈されて 観光案内所として使われ,
東京三菱銀行は この建物の隣に移っている。